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ジフ

Author:ジフ

 1979年結成のテクノポップ・バンドP-MODELと、結成以来の中心人物である平沢進。
 P-MODEL・平沢進にまつわる膨大な資料を記録保存し、公開するデータベースサイトが[平沢博物苑]です。
 当ブログでは、本苑の諸更新報告や、四方山話をお届けます。

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近況報告
大変ご無沙汰してます。
電子部族P-MODELの回想も放ったらかしにして
留守にしてしまい、申し訳ございませんでした。
書き始めたはいいものの、あまりの膨大な記録と記憶に
筆が止まってしまいました。お詫びいたします。

3月の平沢ソロライブを観た後は
地元に篭もって日々の辻褄に追われてました。
相変わらずな毎日ですが、時間の配分を考えて
回想録もまとめていかねば、と考えてます。
大変申し訳ございませんが、引き続き気長にお待ち下されば幸いです。
以下は近況です。

1:
最近、生まれて初めて、自腹で楽器を購入しました。
(それまでにも戴き物のウクレレや、家人所有の電子ピアノはありましたが)
カエルパペット型電子楽器「ケロミン」。
http://www.keromin.com/

口の開閉で音高を指定し、腕のボタンで音を出す。
テルミンのパペット版ですが、インターフェイスが良く練られた楽器です。
手にしてしばらく遊べば、簡単な曲は演奏できるようになります。
それだけでなく、MIDI出力可能なところに惹かれました。
目下練習中ですが、遊びがいのある楽器です。
私の手元にあるケロミンは先行試作品ですが
今秋に市販予定とのことですので、お見かけの際には是非。

ケロミンに併せて、ヤマハのハンディシーケンサも入手しました。
内蔵のMIDI音源が目当てですが、こちらでも色々遊べそうです。


2:
博物苑を設置してるレンタルサーバのお話しです。
6月末が更新期限ですが、今回で契約を終了しようと考えてます。
以前、こちらにも記しました次のレンタル先は
まだまだ絞り切れて折らず、移行先を決めかねてます。
しばらくはFC2の無料ホームページスペースに間借りしようと思います。
現在のサーバに比べてレスポンスがいまいちですがご了承下さい。
間借り先はこちらです。
http://heavenizer.web.fc2.com/
リンク切れなどありましたらご連絡下さい。
(そうだ、メールアドレスも変えなくちゃいけないんだ…)

四方山話 | 【2007-07-10(Tue) 23:55:00】 | Trackback(-) | Comments:(3)
小更新 2007.07.10
2007.07.10
ディスコグラフィにパプリカDVDと映像のための音楽を追加
広告に映像のための音楽関連広告を追加

博物苑 更新 | 【2007-07-10(Tue) 23:00:00】 | Trackback(-) | Comments(-)
電子部族P-MODEL(2)
SIM CITY SIM CITY
平沢進 (1995/08/02)
ポリドール
この商品の詳細を見る

1995年は平沢進ソロ新作“SIM CITY”から幕を開けました。
前年のプーケット渡航で受けたカルチャーショック、いわゆる「タイショック」に包まれた本作は、
サイモンキャバレーの歌姫をビジュアル・ゲストに迎え、
華やかに彩られた印象を聞く者に与えました。

インタラクティブライブも2年目に突入。
ヤマハから発表された新楽器「Miburi」を使い、
演奏やCGトリガーを諸動作によって制御する姿は
ライブパフォーマンスの視点からも非常に映え、
オーディエンスからも大いに支持されました。
また、サイモンキャバレーからMiss.Nを招聘。
彼女の神秘的な佇まいに、息を飲んだ観客も多かったことでしょう。
SIM CITY DVD

Miss.N & HIRASAWA


一方、P-MODELの方も、新譜制作がスタートします。
“SIM CITY”のレコーディングが3月に終わり、
同月からP-MODELのレコーディングがスタート。
この最中に、ケラ率いるLONG VACATIONの解散ツアーに
レコーディング逗留中の軽井沢から平沢が駆けつけ,
ゲスト出演を果たした、というエピソードもありました。
HIRASAWA & KERA

9月30日には、前年12月のお披露目ライブ以来の
P-MODELライブとなる「ENDING ERROR」が日比谷野音で開催。
また、同日に“舟”のリミックス盤である“Corrective Errors Re-mix of 舟”が
DIW/SYUNレーベルからリリースされます。
Corrective Errors

まだ発表前の新アルバムに先駆けて、
リミックス盤を発表するという変則スケジュールでしたが、
これには理由があったようです。
ライブ中のMCで、平沢が「ポリドールやめた」と発言、
次なるレコード会社はコロムビアに決定し、
新譜は12月に発売される、と報告されました。

ライブ本編は、凍結前の80年代曲が中心に選曲され、
そこに解凍期ナンバーと新譜収録曲が挟まれる構成でした。
改訂ライブでも演奏された“SOLID AIR”・“旬II”に加えて
“BOAT”・“オハヨウ”・“オランダエレメント”など披露。
“KAMEARI POP”では平沢のMiburi演奏が登場し、
“PERSPECTIVE II”と“PERSONAL PULSE”は福間の手によるアレンジ。
さらに小西の4-Dナンバー“AFTER DINNER PARTY”まで演奏されて、
まだまだお祭りムードが漂うP-MODELでした。
ENDING ERROR VHS



10月には再び平沢ソロイベント。2度目の万国点検隊となる
「ウィッワット・タラサンゴップ仮装救出移動団」が敢行。
万国点検隊1995

SIM CITYツアーのアンコール、
「はやく電源を落とさないと(退治した悪役の)バイナリーデカルトが複製してしまう。
 それでもアンコールするか?」
…の問いに大歓声でアンコールを求めた観客。
その結果バイナリーデカルトが再生……と言う、
仕組まれたハプニングに端を発した点検隊は、
バンコク・アユタヤ・アットアルンを股にかけて、
息つく間もなく、参加者達を駆け巡らせました。

この点検隊の模様は、大手パソコン通信ネットの
NIFTY-Serveに設けられたホームパーティ(会議室)、
「プレ・サイバー Hirasawa Bypass/万国点検隊」で逐一報告され、
日本のファンも点検隊の状況を、半リアルタイムながらも伝え聞くことが出来ました。
(非パソコン通信のファンには会議室ログを有料プリントアウトするサービスも実施)
そして、この一件が、当時のファンクラブであるHIRASAWA BYPASSの
公式パソコン通信フォーラム「HIRASAWA CYBER BYPASS」設立のきっかけとなります。


1995年はP-MODEL・平沢ソロ、コロムビア・DIW/SYUN、
様々な要素が複雑に絡みつつ、ネットワークコミュニケーションの土壌が育まれました。
同じく1995年にはWindows95が発表。「インターネット元年」と呼ばれ
世間においてインターネットという単語がようやく浸透しはじめた年でもありました。

昔語り | 【2007-03-10(Sat) 21:05:08】 | Trackback(-) | Comments:(1)
広告はじめました
[平沢博物苑]のサーバ利用料を賄えれば、と考えて
amazonとgoogleのアフィリエイト広告を設置しました。
こちらのブログをお読みいただいて、面白かった際には、
広告のことも思い出していただければ幸いです。
時たま、意表を突いた広告が出てくると得した気分です。

余談ですが、現在借りている博物苑のサーバ。
一昔前のUSBメモリ程度しか容量が無いのですが
そろそろ残りあとわずかとなってきました。
レンタル元のHPを見る限り、借り増しもできない様子です。
どちらかに1GBぐらい使えてお値打ちで、
かつ回線の太いサーバはないものでしょうか…。

四方山話 | 【2007-02-07(Wed) 21:23:31】 | Trackback(-) | Comments:(3)
電子部族P-MODEL(1)
1994年9月23日、日比谷野外音楽堂「平沢三幕三時間」。
このライブイベントで配られた告知チラシにより
次期P-MODELの正式始動 <改訂> が、初めてファンに向けて公表されました。

I3DAYS’94 TOKYO & OSAKA

I3DAYS'94 TOKYO & OSAKA
12/ 1 大阪・難波 W'OHOL
12/12 東京・新宿リキッドルーム


次期メンバーは誰なのか?
大阪先行のライブスケジュールが発表された時に、
平沢の盟友にして、関西テクノの重鎮である小西健司の加入を予測した、
目ざといファンも居たと伺っています。
しかし、この段階で、後に「電子部族」と呼称される次期P-MODELの
活動プランまでを想像した者は、誰一人いなかったことでしょう。


12/1 今は無きライブハウス、難波 W'OHOL。
インダストリアルなテクノ出囃子(後に“11th Fact”と命名)に乗せ、
解凍期と比べて洗練されたAMIGAボイスと、投影されたCGによるメンバー紹介。
福間 創・小西健司・上領 亘の順に登場し、最後にリーダー平沢 進の名が告げられ、
超満員の観客を前に、新生P-MODELは改訂を果たしました。

解凍期の代表曲である“SPEED TUBE”から始まって
80年代の作品“SOLID AIR”“旬II”などを新アレンジで演奏。
MCでは平沢から各メンバーのお披露目がされたり、
アンコールの“2D OR NOT 2D”では、小西が舞台前まで迫り出して
観客に向けてプレゼントを放り投げる(最後はパワーグローブ!)。
おおむね、お祭りムードに包まれた改訂ライブでした。


ここで特筆すべきは平沢のMC。
「電子部族」「ネットワーク活動を奨励する集団」
「(今回のP-MODELは)ネットワークによって成り立つ」などの
キーワードが、すでに散りばめられてました。

同年5月にリリースされた、解凍期最終ライブ収録のライブアルバム
“PAUSE”のライナーノーツにて、ネットワーク社会への移行を予告し、
ソロアルバム“AURORA”から楽曲制作環境も、従来のハードウェアシーケンサーから
AMIGA上のソフトシーケンサーに移行してましたが、
このときの発言の通り、その後のP-MODELはネットワークに
主軸を置いた活動を繰り広げていくことになります。

時はWindows95のリリース前年、
DOS/Vマシンはブリキ仕立てのようなGUIモドキを走らせるのに精一杯、
国産PCメーカーはPC-9801の独壇場に、他社が独自仕様のマシンで戦いを挑んでいた最終局面。
Macintoshは独自の進化を遂げる高嶺の花。
平沢の愛したAMIGAは、開発元のコモドールが倒産し、
生みの親のジェイ・マイナーは神の元へと召されました。
(追悼ライブ“Adios Jay”が催されたのは、P-MODEL改訂直後でした)
ようやくCD-ROMが普及の兆しを見せ始めたものの
パソコン通信環境は安価に提供された2400bpsが当たり前。
重いサイズのJPEG画像や音声ファイルはリッチな28800bpsに接続して落とす。
まさにインターネット夜明け前のことでした。


新生P-MODELは大阪・東京のお披露目ライブを終えた後、しばし音沙汰がなくなります。
翌1995年、まず平沢のソロ活動日程が公表され、その水面下でP-MODELの準備が進行しました。

昔語り | 【2007-02-02(Fri) 21:01:47】 | Trackback(-) | Comments:(0)
設立前夜(3)
[平沢博物苑]の制作は、2004年5月に始めました。
「REVIEW項目作成から作業開始」と記録に残ってます。


年代別にまとめられたスクラップファイルから雑誌記事をひとつひとつ読み直して、
要点を抜き出しまとめて、掲載内容を記す。
思い出しただけで、気が遠くなる地味な作業です。

しかし、この作業中に今まで見落としてた発見や
再確認できた事がいくつもあったのは、大きな収穫でした。
まず、頑固なまでに一貫性がある平沢進の発言。
例えば、アルバム“PAUSE”のライナーノーツ。そこで予告したとおり、
その後に再結集したP-MODELは活動拠点を電子ネットにシフトして
「電子部族」をシンボルとし、常にインターネットと密着した活動を繰り広げました。
なお、「電子部族」の下りについては、別の機会に項を設けて述懐できれば、とも思います。

次に(ある意味で当たり前のことですが)
インタビュー記事というのは、語り手の意志よりも、記者・雑誌の意図の方が強く反映されて、
語り手の意志も歪められることも時にはある、と感じました。
こんな作業を延々と繰り返してると、素人目にもそれとなく分かってきます。
インタビュー対象の魅力を引き出すのが巧みなトコロや、自社の我を押しつけるトコロが。

無数のインタビューに含まれた様々な意図・意志を清濁併せ呑んで抽出し、
そこから汲み出される全体像で、平沢進の行動原理が浮かび上がれば面白い。
いま振り返るとREVIEWの掲載内容を作る行程は、まるで点描画を描いてるような心境を味わえて、
地味ながらも最も楽しい作業でした。


REVIEW項目が完成したら、いよいよ単純作業です。
スキャナを駆使して、チラシ・書籍など多数の資料を取り込み集めた素材を
HTMLのテーブルに並べて装丁を整える。同時進行で大まかなサイトマップをまとめ
トップページのデザイン、それらをレイアウト…etc。

サイトデザインは試行錯誤の繰り返しでした。
どうすればパッと見てすぐ分かる、小綺麗なデータベースになるか?
頭を悩ませたのは各ページの配色。「ホームページCOLORサンプル集」なる本を頼りに
テーマ別にそれっぽくでっちあげましたが、皆さんの目にはいかようにお映りでしょうか。

もうひとつの悩みの種は、サイトの顔である名前。
つまり、[平沢博物苑]というサイト名ですが。
平沢 ・ 博物 ・ 苑。 大きく出たもんです。
今もなお「あれで良いのか?」との念が、時折、頭をよぎります。
もう少しマシなの無かったのか。


そんなこんなを経て、5月末までにはサイトの骨子が完成。
レンタルサーバも取得して、翌月には公開に至ります。

ちなみに公開当時にはディスコグラフィがありませんでした。
「公式やファッシネイションのサイトに強力なものがあるから」と
いう理由でしたが、やはりカタログならばアルバム目録は
あるに越したことはない、と思い直し、急ごしらえで仕立てた次第です。
裏ジャケも掲載してるのは、後発ゆえの苦し紛れの打開策ですが、
「アルバムは表裏ジャケット合わせて一つの作品」という思いもあります。
どうぞジャケットを含めて、P-MODEL / 平沢進の作品をお楽しみ下さい。

四方山話 | 【2007-01-19(Fri) 18:21:51】 | Trackback(-) | Comments:(1)
設立前夜(2)
裏P-MANIA
銀P-MODEL
ピコエンタテインメント Vol.2
終末の果実目録
KB SPECIAL 1993年9月号
GOLD WAX No.24
P-MODEL結成20周年記念書籍 音楽産業廃棄物


いずれも1990年代に発行されたP-MODEL資料集です。
P-MODELを知ったばかりのファンへ向けて
親切丁寧に解説されているものから、
十数年の歴史を余すところなく詰めた電話帳サイズの資料本、
よほどコアなマニアすら滅多にお目にかかれない
激レア音源ばかりを紹介した超上級者向けの記事まで、
作り手の意志とP-MODELへのリスペクトが伝わる一級品の資料ばかり。

90年代初頭に巻き起こったテクノポップ再ブームの
真っ直中でP-MODELに興味を持った私は、
折良く発行されたこれらの資料集に大変お世話になりました。
特に、マンドレイク時代から1993年までの雑誌・会報記事・
チラシを大量に収録した資料同人誌“裏P-MANIA”を手にしたときは、
「宝だ! バイブルだ! 一生モノだ!」と狂喜乱舞したのを覚えてます。

しかし雑誌や書籍は、その性質上、
一定期間が過ぎると途端に入手困難になってしまいます。
近年の例では“音楽産業廃棄物”。
初版刊行時から半年も経たぬうちに入手しづらくなり
版を改め復刊するまでに6年もかかりました。
(むしろ、fukkan.comでの地道なリクエストや、
それを受けての復刊交渉が困難を乗り越えて実を結び、
復刊の日の目をみたことが、ひとつの奇跡だったとも感じます)
音楽産業廃棄物 音楽産業廃棄物
高橋 かしこ (2005/06)
ブッキング
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そして、紙媒体資料集には、総ページ数やカラー記事に対して
一定の限界が設けられてるのが実情ではないでしょうか。
貴重盤が掲載されたモノクロのディスコグラフィを見るたびに。
カラーページでじっくり眺めたい、と唸ってました。


対してインターネットサイトは、それらの点からは解放されてます。
制作者の意志でサイトを閉鎖しない限り、
ネットに繋がればいつでも誰でも閲覧可能。
サイト容量は広大で等倍カラー画像もお手のまま。

他のテクノポップ・ニューウェイブバンドには
レイアウトも美しく読んでて楽しいデータベースサイトが
いくつもあったことも刺激となりました。
特に“MOONRIDERS WEB SERVER”(ムーンライダーズ)
“ぱちーの”“Howling WEB”(有頂天・ロンバケ)からは
様々なエキスを吸収いたしました。この場を借りて御礼申し上げます。


作り手が自ら内容を吟味して律しないと、
受け手が苦痛を覚えるような冗長なコンテンツを
作ってしまう、という欠点もサイトにはありますが
サムネイルを多数陳列して、任意の画像を選択後に
等倍画像が表示されるカタログ形式ならば
見易く便利だろう、と思案してレイアウトを模索しはじめました。

・無料サイトは運営が不安定になる可能性があるから
 サーバをレンタルして腰を据えて運営する。
・P-MODEL/平沢進に特化した内容にする。
・開設から10年は継続する。
・不確かな情報は省き、裏打ちの取れた資料を掲載する。
草案は徐々にまとまりつつありました。
いよいよ制作へと歩を進めます。

四方山話 | 【2007-01-10(Wed) 23:17:11】 | Trackback(-) | Comments:(0)
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